戦争
先日、東京大空襲の賠償を求めた訴えが棄却された。そんな記事を読みながら、祖父母らから昔聞いた、戦時中からその後の話を思い出してみた。
祖父は予科練出身のパイロットで、昔は祖父の家へ遊びに行く度に零戦の話を聞かされていました(^^;
その話の中で、戦時の緊迫感を表す特徴的なエピソードがこれ。
飛行機で補給艦の護衛をしていたところ、水面付近に細長い移動物体が見え、それを敵の潜水艦だと思って攻撃したところ、それは鯨だった、というお話。今にしてみればただの笑い話だけど、当時が如何に緊張した状態であったかが窺える。
そして次は、おばから聞いた、終戦後まもなくの頃のお話。夫婦で汽車に乗って知人宅へ行った帰りのこと。知人宅が農家で、お土産に野菜を貰ったそうだ。駅に着いたところで警察から持ち物検査を受け、野菜を全て没収されたそうだ。当時は配給制であり、多分、農家が自家用に作ったものであっても、貰うことはルール違反だったのだろう。ただ、恐らくだけど、家庭菜園で作ったものであってもOUTだったような気がする。
その没収された野菜が配給用に回されたのだろうか、という疑問があるが、本当に厳しい時代だったのだな、と思う。
もし仮に、今、日本が戦争になったらどうなるのだろう、という疑問がある。
祖父は予科練出身のパイロットで、昔は祖父の家へ遊びに行く度に零戦の話を聞かされていました(^^;
その話の中で、戦時の緊迫感を表す特徴的なエピソードがこれ。
飛行機で補給艦の護衛をしていたところ、水面付近に細長い移動物体が見え、それを敵の潜水艦だと思って攻撃したところ、それは鯨だった、というお話。今にしてみればただの笑い話だけど、当時が如何に緊張した状態であったかが窺える。
そして次は、おばから聞いた、終戦後まもなくの頃のお話。夫婦で汽車に乗って知人宅へ行った帰りのこと。知人宅が農家で、お土産に野菜を貰ったそうだ。駅に着いたところで警察から持ち物検査を受け、野菜を全て没収されたそうだ。当時は配給制であり、多分、農家が自家用に作ったものであっても、貰うことはルール違反だったのだろう。ただ、恐らくだけど、家庭菜園で作ったものであってもOUTだったような気がする。
その没収された野菜が配給用に回されたのだろうか、という疑問があるが、本当に厳しい時代だったのだな、と思う。
もし仮に、今、日本が戦争になったらどうなるのだろう、という疑問がある。